THE911&PORSCHE MAGAZINE -102

環境問題と戦うポルシェ
 古い話になるが、今から20年以上前の出来事を思い出す。
 当時のビッグな話題は30年も続いてきた空冷ポルシェ(911)が終わりを告げ、エンジンとボディを一新するというポルシェファンにとっては大事件が勃発したのだ。それまでの911とは何が異なるのかというと、エンジンが空冷から水冷に変わったことが話題となったが、デザインも大きく変わった。私は水冷ポルシェ(996型)が販売され始めた頃に、ポルシェのドライビング・スクールのチーフインストラクターを努めていたので、サーキットの現場でも空冷と水冷の論争がおきていた。当時はアメリカの大統領戦のように分断がおきていたが、時間が経つと空冷派も水冷ポルシェを受け入れるようになってきた。
 
 当時、ポルシェが空冷を諦めた理由は環境対応であったことは明白だ。日米欧の市場では排ガス規制(NOxなど有害ガスとCO2などの燃費)が強化され、温度管理が重要となってきたのである。コールドスタートから排ガスが測定されるので、窒素酸化物などはエンジン始動時に多く排出されていた。当然、空冷は冷え性なので、暖気に時間かかり、排ガス規制では不利となっていた。2000年以降はさらに排ガス規制が厳しくなることを考え、ポルシェは空冷と別れを告げたのであった。
 
 第一級のスポーツカー・メーカーが環境問題をどのように克服してきたのか、歴史を振り返ると面白い。
 ポルシェは技術集団の企業なので自動車の様々な問題に関しては正面から取り組んできている。ポルシェのエンジニアが「自動車の問題は自分たちで解決する」という社是があると聞いたことがある。ポルシェは過去にも環境対応へのチャレンジがあった。1950ー1960年代はワーゲンビートルを見るまでもなく、多くの水平対向空冷エンジンが存在していたが、1970年代に入るとポルシェ以外は消え去った。
 
 1960年代のホンダは空冷エンジンを理想のエンジンと信じていたのは、本田宗一郎さんだった。その時にホンダ社内で「空冷か水冷か」という大論争が行われていたが、空冷派の尖兵として本田宗一郎さんがいたから始末に悪い。創立者に異を唱える反対派は初代F1の監督であった故中村良夫さんだった。
 
 宗一郎さんを説得するために中村さんはF1で友人となったポール・フレール氏を訪ね、VWが空冷エンジンを諦めた理由をVW自身から引き出し、ホンダの中村さんに「アメリカで始まる排気ガス規制を考えると空冷に将来はない」とVWが考えていることを伝えた。ここでビートルの役割は終わり、1974年に横置き水冷エンジンのFF車のゴルフが誕生した。
 空冷エンジンを残したのはビートルの後継となったポルシェであったのだ。ポルシェは空冷エンジンを1970年代に始まったマスキー法になんとか適合させてきた。
 
 現実には排気ガス規制をクリアするたにアメリカ仕様のエンジンはかなりパワーダウンしたこともあったが、ポルシェファンは堪えていた。排気ガス規制が厳しくなった時代を映し出す物語だ。
 
 再びポルシェを襲った環境規制は1997年に制定された京都プロトコルだった。1990年時点の燃費を2008年において25%削減することを公約するものだ。販売台数が少ないメーカーは「お目こぼし」が与えられたが、ポルシェはSUVで販売台数が伸びていたため、ニッチメーカーではなくなっていた。ポルシェにとっては嬉しさと苦しさを同時に味わうことになった。ポルシェはエンジンだけでなく、燃費削減のアイディアとして徹底的に空気抵抗を低減することと軽量化を進めていくのだった。
 
 996ターボで採用したバリオカムを採用したのも、パフォーマンスと燃費を両立したかったからであり、さらにガソリン・エンジンに筒内直噴技術を実用化していた。ポルシェの軽量化は同門のアウディのアルミ化ではなく、超軽量スティールを素材メーカーと共同で開発していた。しかし、ポルシェのユーザーはつねにパフォーマンスの向上も同時に望んでいることを知るポルシェは、環境への配慮とパフォーマンスを両立させながらつねに進化しなければならないと考えているのだ。
 ポルシェ博士が夢見た理想のスポーツカーは充分実現しているわけだが、環境問題という20世紀の機械文明の負の遺産は予想していなかったであろう。
 ポルシェ博士が夢見たもうひとつの理想は、社会のためになる便利な自動車であった。その意味では環境に優しい自動車も、ポルシェ社の創立者から受け継いだ重要な使命なのである。
 ポルシェにはユーザーに夢と感動を与えるだけでなく、社会課題にも挑戦する強い意思を感じる。最近のポルシェの電動化は単なるテスラ・イーターではない、ということなのである。
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