
THE911&PORSCHE MAGAZINE -102
「幸福とは、旅の仕方であって、行き先のことではない。」
(ロイ・マッツ・グッドマン)環境問題と戦うポルシェ
「幸福とは、旅の仕方であって、行き先のことではない。」
(ロイ・マッツ・グッドマン)環境問題と戦うポルシェ
グッドマンに倣えば、グランドツアラー=GTを駆る歓びは、目的地にいち早く到着することではなく、むしろその中途の質にこそあって、立ち寄った先での邂逅や出会いといったドライブのクォリティが、世界に共通するはずの時の流れを、自分にとっていっそう濃く、より味わい深いものにしてくれるというわけだ。
時間を節約するために新幹線や飛行機で目的地まで一目散、では決して体験できない悦びの数々がそこにあるのだろう。
時間を節約するために新幹線や飛行機で目的地まで一目散、では決して体験できない悦びの数々がそこにあるのだろう。
グランドツアー=大旅行である。
元をただせば17世紀末から19世紀初頭にかけて、イギリスの上流階級の子息たちが、オトナになるための総仕上げとして、主にイタリアやフランスへと出かけた“卒業旅行”のようなものを意味していた。
日本に住む我々にはGTの魅力が少々縁遠いものに映る。そもそも狭い島国でさほど国内移動の距離は長くない。かといって、英国とは違って、大陸とのクルマを使った往来もまたゼロだった。英国の産業黎明期の自動車にはヨーロッパ大陸への憧れがつねに透けて見える。ベントレーコンチネンタルやロータスヨーロッパといった車名を思い出すだけで、十分理解してもらえることだろう。
日本と英国とは、大陸に接した島国という点でよく似ており、人々の所業の一切が後背地域にパスされることなく、良い意味で“吹き溜まった”結果、文明・文化の様々な熟成地となった。けれども、20世紀最大の利器であるクルマに関していうと、大陸に憧れトンネルまで掘って電車にクルマを乗せて渡るという熱意まで見せた英国とは違って、日本は大陸との“道”が途絶えてしまった。いうまでもなく、第二次世界大戦の結果である。
島国の移動手段にとどまったという事実が日本の自動車に与えた影響は少ないないと思う。長らく国産車の欠点といえば高速移動の性能にあったし、その反動として“アウトバーンで鍛えられた”ドイツ車への羨望が集まったものだ。
英国が憧れた大陸では、ドイツ車の性能が抜きん出ていた。否、正確にはイタリア車も頑張ったが、彼らはサーキットでのレースなど限られた場所において競い合い、さっさと結果の出るような仕事には集中できたが、世の中にじわじわと利益を与えるような息の長い仕事には向いていなかったのだろう。
日本と同様にドイツとイタリアは先の大戦敗戦国であり、それゆえ航空機産業を主とした軍事関連産業から遠ざけられた結果、皮肉にも自動車という20世紀最大というべき文明の利器の進化をリードできたわけだが、それぞれに関わった人々の、言ってみればテロワールの違いから、生み出されたクルマのキャラクターまで変わってしまうのだから、面白い。とにかく、ドイツ車はサーキットでも速かったけれども、ロードカーとしても優秀であった。
英国人が大陸を目指したのと同様に、ドイツ人にも長距離をクルマで走るという抑え難い欲望があり、それがドイツ車の基本性能を形成したといっていい。
イタリア人は北を目指さなかった。自分の国でぬくぬくとすることが大好きな国民であり、また太陽の光が燦々と降り注ぐ恵みおおき大地の人々が、わざわざ森と野原しかない寒く厳しい土地へ移動しようとは思わない。その逆こそ真だった。
ドイツ人には南に旅することが何より重要だった。それは今でも変わらない。バカンスシーズンともなれば、ステーションワゴンに山ほど荷物を積んで欧州の南国を目指す。その移動距離は軽く千キロを超える。ドイツ車にはそういう性能が基本として求められている。
生来が生真面目なプロテスタントの作ったドイツ車は、二度の敗戦から立ち直る勇気を自国民に与え続けてきた。メイド・イン・ドイチュラントのクルマは大陸を自在に動き回るツールとして今なお絶対的な存在だ。そして、メルセデスベンツと並んでドイツ高性能の証であるポルシェもまた、昔からよくできたグランドツーリングカーを作るメーカーであった。
例えば貴方が今、クラシックカーラリーに参加してみたいと思ったとしよう。クルマ選びからアドバイスできるとすれば、躊躇うことなくポルシェ356や911ナローを勧める。いずれも中古車相場は上がってしまったけれど、それでもこれ以上堅い選択肢はない。
ラクなのだ。356にしろ、ナローにしろ、知らない道を一日に3~400キロ走ることも珍しくないクラシックかーラリーでは、その耐久力はもちろん、安定した走りがパッセンジャーをずいぶんラクさせることができる。とかくスポーツカーイメージの強いポルシェではあるけれど、レン・シュポルト系を除けば至ってGTであることなど、ポルシェファンにはとっくに承知の事実だろう。
公道においてポルシェはすばらしいGTであるべき。
ポルシェがそのことをロードカーそのものでアピールしたことが過去にもあった。1978年に登場した928である。ここで928そのもののことを詳しく語ることはしないが、とにかくそれはポルシェのそれまでのロードカーのあり方を変えるべく企画された高級GTであった。
友人が初期型の3ペダルマニュアルを手に入れて、毎日使えるよう徹底的に整備したというので久しぶりに乗ってみた。
驚くことにまるで現代のクルマであった。そりゃ快適装備や機能装備は70年代そのものだけれども、クルマの基本性能、特にグランドツーリングカーとしての資質は現代でも十分に通じるものがあった。パワートレーンは滑らかこの上なく、必要充分なレスポンスが備わっている。これならマニュアルミッションでなくても良いと思わせるあたりも本当に現代のクルマ風だ。クラシックカーとは3ペダルで扱って楽しいクルマのことだから。
改めて928を駆ってみて思ったことがある。ポルシェはあの時、RRを捨てる覚悟でGTを極めようとした。結局それは実現せず、911を残すことで、そのあとも苦難は続いたけれども乗り越えて、世界で最も価値ある自動車ブランドのひとつとなった。結果オーライ。けれどもポルシェは究極のGTであることまで放棄したわけではなかった。最新の992のカレラ系には928にも通じるツアラー性が満ちている。
パナメーラやタイカン、人気のSUVたちを引き合いに出すまでもないのである。ポルシェは911という素晴らしいGTを今なお作り続けているのだった。